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「私」のCROSS†CHANNEL 7

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 例えば放送部の面々は有識な人が多い。ある一面での太一理解を持っている人。霧ちん筆頭に部長とか。ならば、太一に対して自衛もできる。受け入れることもできる。

 

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 それにしても太一を霧ちんは刺激しすぎよなーというのはあって。もちろん豊関連の話が前提にはあるわけだけど、それは度を超えていて。太一の自制を持ってしても加虐の嗜好が出てしまうほどに。色々推し量るのが霧ちん下手だよなー。無謀ともいえる。

 

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 存在の全肯定。私が求めているもの。実際、ここでひとつのEDを迎えたとしてもおかしくない構図ではある。とても感動的だ。

 七香は生まれの不幸とかそういった矮小な考えは持たないだろうな。太一の境遇への申し訳なさはあっても、太一の生についてはどんなものであっても全肯定するだろう。正しい。好ましい。羨ましい。

 生まれ落ちたからには、どんな生だって、肯定されるべきである。

『最果てのイマ』セレクション 1

 エピローグより

 世界は滅びた。
 人類は衰退した。
 全て、予想通りになった。

 生存したのはわずかな数。
 再び元の文明分化に至ることは絶望的だろう。

 過去の歴史か得た叡智で、最短の手順で、細々と
食料を得ている今の人類だ。

 しかし流動する活力を束ねることはもうない。
 個人の間の距離は引き伸ばされ、皮肉なことに野
生種として適切な距離に戻された。

 人は群れることで深化した。
 我々は人の気持ちを推し量る。

 読心することで、人と人の距離を維持しようとす
る機能がある。

 これは社会的複雑性の読解力と言われる。
 相手を理解することで、共存が成立するのである。

 その中からルールが生まれ、倫理が育った。
 単純には、隣人を憶測する能力のことだ。

 何をすると怒るか。
 どうすれば喜ばれるか。
 いかにしてうまくやっていくか。

 そういう力だ。
 殴られれば痛む。
 贈れば喜ぶ。

 だが人のそれは、他の社会的側面を持つ動物のそ
れを、遙かに上回る。

 その強力さは、ほどんどテレパシーと言って良い
ほどだろう。

 人は人の心を解するのだ。
 感情移入できるのだった。

 

  冷静に考えて、空気を読むという倫理的な行いはテレパシーじみているというか、そのものである。このことには純粋な驚きをもっと覚えてもいい。昨今の大人の発達障害というある種の流行りにおいて、やはり、人間の倫理は、前提がテレパシーなので問題になる時が自然と訪れたということなのだろう。しかも、その倫理は普遍性と個別性が複雑に入り混じり、絶対性が担保されない。語りえない。

 私が取る戦略としては、あえてそのテレパシー使わない論理コミュニケーションは使っているフシがある。つまり、お互いが、語ったことにしか信用を置かない、読心をしないという態度。個人的には、限定的には有効だと思っている。

 しかし、どうなんだろね(‘、3_ヽ)_

「私」のCROSS†CHANNEL 6

たとえば、そういう世界。
どんな犯罪に手を染めても、誰も咎めることなく、また咎められることもない。
無法の世界。
だけどここにいるのは自分だけなのだ。
自分だけの世界で、どんな犯罪があるだろう。
ない。
理想的だ。
理想の社会と言える。
個であること。群を捨てるということ。
そのために必要な能力とは何か?
また、適した精神構造とは?
人間にはいろいろな欲望がある。
水を飲みたいとする欲求とはまた別の次元で、それはある。
欲望とは何だろう。
出世欲。
知識欲。
創作欲。
征服欲。
それらは他者に対して抱く、あるいは他者によってその価値が定められるもの。
欲望というものは他者の承認を得たいという、あらわれかも知れない。
人より資産を持ちたい。
人より知識を持ちたい。
人より出世したい。
前提としての他者。
多くの人が価値あると認めるものを獲得することに、欲望の根元がある。
その明確なかたちのひとつが、通貨だろう。
さしあたっての利用目的がなくとも、人はそれを欲する。
人間が欲望とともに生きる時、すでに他者の意識や価値観によって世界は染まっているのであり、またその中で人格は形成されていくのだ。
では個であったなら。
欲望はどう変質するだろう?
いや、他者がいなくなった瞬間、欲望はその定義を失って欲求へと至る。
対抗馬のないレースは競走として成立せず、故に走る速度は追求されなくなる。
自分一人の世界で、なお知識層であろうとする者が何人いるだろう?
見る者のない芸術を、彼らは作り続けることができるのか?
誰を征服するというのか?
そう。
一人になれば、人は変質する。
せざるを得ない。
突き上げるような負の感情も、マイナスではなくなる。
罪も罪でない世界なら。
この『目』は、そのためにあったのだと、天啓のように思った。 

  欲求云々はさしあたって言及するところが少ない気がする。割りと極論ではあるので突っ込みいれてもしかたない部分でもある。そういった極論を通して、何を言いたいか、というところが肝であろう。そしてそれは『目』への言及、使用意図のことについてに聞こえる。

 いまいち不明なテキストだが、『目』があったとして、まだ太一は一人ではないし、となると送還についてもう考え始めている?

 一人になった人間についての客観的考察と、自身が一人ならば、という二つの言及が見られる感じかな。天啓のように、とあるように、太一の在り方が赦される、というより赦す赦さないといった、そういう尺度を持たない世界というのを『目』は作り出せる。自身の在り方に加えて『目』を持ったこと。太一はそこに天啓を見出した。

 気になるのは太一は別に赦されるわけではなく、一人になるとただ無価値になるということなんだけど。ほら、負の感情とか、マイナスとかって有価値におかれる概念なので。

 そんな有価値より無価値を選ぶ、ということだろうけど、無価値に耐えられる精神に変質する過程はたしかに興味あるかな。虚無は大切に扱わないとね。すぐ頭おかしくなっちゃうから。

『最果てのイマ』セレクション 0

 このシリーズでは、『最果てのイマ』のテキストに対して章あるいは節単位で向き合います。

 私の書くテキストは、

kunicchi.hatenadiary.jp

 で言われていることを前提とします。

 加えて、『最果てのイマ』シナリオの時系列や、その他物語考察の類はできるだけ排除した、ただテキストとそれに抱いたものをメインに置くという態度をここでは採用し、記述します。なので、セレクションという表題にしてみました。いろいろ考えられるアプローチの中、今回はこの形でやってみたいと思います。

「私」のCROSS†CHANNEL 5

 書くしか無いのだ。

 本当にそうか? と言われたら自信がないけど、、、

 だいたい、~せねばならない、ことなんてないんだから、文法破綻してるよね。この構文には気をつけよう。強迫神経症まっしぐらだぞ!

 

 書いてみたい。

 これが最も言語化できている気がします。

 

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 ここで太一が克己したのは、己の衝動的な加虐性です。

 躁な感じに誤魔化してるけど、結構な負荷がかかってそうであります。

 これは太一の在り方でもあります。擬態(ペルソナ)とか、狂気、正気、いろいろな例えがありますが、全部ひっくるめて太一の在り方です。

 自我という概念を内包する自己ということばがあります。ユング心理学によると、自我になりうるものは人間、無意識にいくつか抱えています。自我となって浮かび上がってくるのは絶対的に確定された一つのものではありません。たまたまその時、自己を支配している自我が意識に現れてきます。これは政党によく例えられています。政権与党(現れている自我)、野党(現れていない自我)この時、国会に値するのが自己です。

 太一の擬態化とかいわれる自我の支持率は16%です。解散の危機どころじゃない。。。

 めっちゃがんばってるんよね。まあそう単純な話でもないんですけど。なんか参考に。取りこぼしあるなこれ。

 

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 まあ太一における錯乱・せん妄はもう解離性同一性障害に近いものと解釈してもいいんじゃないかな。太一の倫理である16%を支えているものはなんだろう? あまり心を数字で考え始めても仕方ないね、、、自己の中で、自我と自我が入り混じり、それが瞬間的(衝動的)に出てきたりと、人間、そんな感じだから。

 

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 友貴との会話は太一けっこう好きなんだと思う。作中で受ける印象以上に。断絶があろうとも、この普通・・・対等な感じの会話を尊ばない理由がちょっと見当たらないので。断絶があろうとも。

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 そういう活動をやっているわけです。

 

 今回はここまでかな。

「私」のCROSS†CHANNEL 4

 

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 斯くありたいものである。いや・・・無理な気がするな・・・。

 わりとーてきとーにたいっちゃんも言ってる気がするし、てきとーモード・・・というよりは諦め? そんな気がする。太一が自身のことを理性で制御できるものだと認識しているとはちょっと思えない。かな。

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 私も壁に寄りかかって所在なげにしている美希と遭遇してぇーという思いを表明。立ち絵かわいいよねえ。

 

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 たいっちゃんの良くないところだね。この人、頭良いんで、相手の底をちゃっかり測ってうざ絡みを入れるので。それをしてる側は楽しい行いなのが問題なんだと思うけどもね。

 

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 そして太一はそういった自分の嗜虐性を明晰に理解している。しているが故に、かろうじて残っている理性に頼るしかないのです。言ってしまえば悪癖。悪癖は、悪癖だと認識してしまうと、本人にとってもストレスであり、自己の瓦解にもつながってしまうものだ。

 やってはいけない、けどやってしまう。という話はどこかで扱いたいが、、、

 

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 サンドイッチ美希。霧ちんにとってはとても重要な人物なのだが、美希は単独でも動ける人間だからにゃー。そりゃー太一はほんといろいろな意味で霧ちんの敵であろうさ。

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 後腐れを無にする美希ちゃんのフォロー。立ち回りゲー上手いよな。まあ結局この行動が、美希ちんの自己保身である、という結論を導けるのがこのCROSS†CHANNELという作品のポイントであろう。

 

つづく。

 

「私」のCROSS†CHANNEL 3

 

 

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 無防備な自分の姿は、果たして隠したいものだろうか?

 そこまでの価値を自分に置くことができるのだろうか?

 自己評価低いので、別に自分の無防備なところとか正味どうでもよい。……はずなんだが、対人恐怖を持っているので、人がいると寝れないし、排泄できないし、躁になるし、といった塩梅だ。単純なようで、どうも複雑化している気がしますね。

 普段の自分に嘘がある、というのはただそういう事実があるだけで、ここは善悪の話ではなさそうですね。嘘が内包する良し悪し(善悪性)は、触れると長くなるし脱線するので訊きたい人は直接連絡ください。

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 優しく拒絶されるのはなんか腹パンくらった気分になりますね。対話、機微、所作、そういった丁寧なコミュニケーションを経ての拒絶ですからね。それは、つらい。人間性溢れたコミュニケーションが出来ているやったーーー!!!ということは、それを通して相手を拒絶することができる、となるので。はい。様々な事情があろうが、太一はみみみ先輩に手伝いの申し出を優しく拒絶されたのであった。

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 太一の倫理観を(唯一?)内面化できた男、新川豊。初対面にて、もうそれは示唆されている。一番の親友になりえた。しかし、いかんせん太一と豊が初めて出会う場所は悪すぎた。こればかりはしかたなく、過去の絶対性により固くプロテクトされているのだった。

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 そういった感慨を持つことはよくある。たぶん酒飲んでる時とかよくそんな感じになってる。一生懸命生きている人がいる。それは自分ではないかもしれないけど、その事実が自身の快楽につながる、というのはありふれた脳内の動きじゃなかろうか。もちろんベクトルの問題があるが、善にしろ悪にしろ、そういった志向に尽くしている人を見て楽しくなるというのは・・・たぶんきっとその人は、人間が好きなんだよ。雪車町一蔵みたいなやつだ。

 

 

 つづく。