今日

 昼前に起きた。突発的なやる気が出て求職活動を行った。若者就職支援センターに赴いたら、卒業三年以上経っていたら利用できないとのことで普通のハロワに通された。ハロワは来たことあるため利用方法は分かるが、ハロワかあ・・・と嫌な予感を受けた。そんなに真面目に働ける体力・気力がないのは自覚しているため、週3日のパートタイムの仕事を検索して紹介を相談してみた。そうしたら、特にキャリアアップにつながる仕事ではないし、君がやるには若すぎるというような話になり(このあたりで本日の気力ゲージがなくなっている)、あ、はい、はい、そうですね、もうちょっと考えてみます(特に考えない)というようなことになった。それでも今日はなにかした日としてご褒美にスイーツを食べた。また太るんだこれで・・・。

 適性検査では事務の仕事が向いていると出たが、派遣では事務の仕事は求人出ていないらしく、軽作業も視野にいれることにし、一つエントリーした。その仕事を紹介できる場合は連絡があるらしい。って、つまり紹介出来ない場合は連絡がないということなので、いやそこは連絡くれよと素朴に思った。

 家に帰ってからはとても体調が悪く自殺への欲求が高まった。急いで薬を飲むがあまり効いた気もしない。なので抗うつ薬も足した。気は紛れるかもしれないと思った。こうなるともう横になって、体調が回復するのを待つしかなく、ただただ死への思いが高まった。

 そうして夜になるが、体調はあまり変わらず、酒を飲むことにする(今飲んでる)。希死念慮への特効薬で、そこらへんの薬よりアルコールの方がダイレクトに効く。思考が鈍くなるので明らかに楽になる。あとブログはいい。内観療法的な効果を少し実感できる。

 では。

にっき

 最近は、朝起きて最初に感じるのが不安感で、これは全般性不安障害と呼ばれるもので、こいつと今戦っています。朝起きてなぜ最初に感じるのかというと、薬が切れているからだと思っています。要は薬が切れているというのが起床即わかるんですね。

 薬を飲めば少し落ち着くときもあれば、微妙なときもあり、まちまちです。調子良いときは調子が良いと認識できているのですごく楽なのはあるんですが、なんだか調子が良いと認識するのって不思議な感じです。おれは今調子がいいぞと精神が訴えてくるんです。嬉しいことではあるんですが、普通ではない気がします。

 今日は全体的に調子が悪く(慢性不安感)割りとつらかったです。こいつのやっかいなところは、明確な不安の原因がないところなんです。ただ存在するだけで不安があるという状態です。最近の僕はそんな感じです。めっちゃつらい。

 寝ると意識が落ちるので楽ですよね。なのでよく寝ています。今日は10時くらいまで寝て、ご飯食べて寝て、昼寝して、夜になっていた感じです。起きているとしんどいからね。さっさと死の瞬間まで意識をワープしたいものです。死の瞬間くらいなら気力使い果たして有意義なことを言う自信があります。聞かれることがあればそりゃすごいこと言ってますよ。ちんちんもがもが。

 ここ数日は調子が悪いので、調子が悪いです。本当にそれだけなんですが、なにか新しいことを始めたいですね。だって、ピアノつまんねーんだもん。7年間よく続けました。少しここらで力を抜こうか、というもののそんな真面目にやってなかったけどね。ピアノ始める前は特になにもやっておらず、一番長続きしたなあ。基本的にすぐ飽きるんですね。ピアノはすぐ飽きると思って最初は安いのを買ってました。

 新しいこと、なに始めようか。姉みたいになろう小説でも読み漁ろうか。エロゲ、すごい続いてるね。もう10年以上プレイし続けてるから、これが本当に好きなものなんだろうなという実感はある。おれはエロゲが好きです。音楽もエロゲがきっかけで始めました。なので、エロゲが元となるものなら続く気がします。エロゲ感想でも書こうか? ブログ書くのはなんか楽しいんだよな。好き勝手書けてさ、虚空に向けて適当なことをぶつぶつ言うのは楽しくありませんか? もともと独り言が多い人間ではあるんですけど、好き勝手言うのは楽しんですよきっと。おれ、ブロガーになるのか? わかんないね。

 基本的に無趣味ではあると思っていて、最近はゲームがつまらない。エロゲは楽しいと思う。その他のゲームは、そりゃもうつまらない。この原因はよくわからない。おそらくゲームはコミュニケーションツールとして扱ってきたことが影響している気はする。ボードゲームとか向いてんのかなあ。どうだろ。誰かおれを導いてくれ。

 明後日あたりに楽器屋行ってこようと思う。なにかモチベになるような楽譜なり、本なり見つけられたらいいな。ピアノ練習が苦行になっている状況はどうにかしたいと思っている。ただただ苦しい。練習は、苦しい。音が苦になってるというやつ。

 ただそれが面白いもので、プロへのリスペクトみたいなのはましている。先日コンサートを鑑賞した際、オーケストラの皆さんの、演奏もそうだけど、練習量への感情移入がすごくて、普通ではいられなかった。才能というのはあるんだろうけど、それにしても音楽への感動より、その練習量、本番への強さ、そういった心の強さに強く惹かれた。演奏はあんまり真面目に聴いてなかったかもしれない。なんか弾いてる人間ばかり見ていた。彼らには最大限の賛辞を込めて拍手をたくさんした。音楽より人間に感動していたのは少し不真面目だったかもしれない。でもそうだった。

 今日はこのくらいで。

突然死について

 いつ頃か、持ち物を減らすようになった。グッズなんか昔いっぱい買ってたなあ。どうやら、これは死を意識するようになってからの傾向のようで要は身辺整理ですね。自身の痕跡は出来る限り消したいものです。

 最近、妙にくらくら(ふらふら?)する。意識が瞬間的に出入りするような感覚で、ふとした時に戻ってこなくてもおかしくないような感覚だ。どうもおかしい。

 よく頭によぎるのは自分の持っている貯蓄のことで、これはいつか誰か自身が価値あると思う人にすべて渡したいと考えていて、タイミングを測っている。近々死ぬなというような予期を覚えたら全て渡したいと思っている。私の生は、私が価値あると思う人に尽くす生だと思ったら、とても気分がよくなる。ここで明らかになるのは、価値ある人を自身のために利用するということです。ここを誤魔化す気は毛頭なく、ぜひ、私にとって価値ある人は、私のために、私の全財産をその時には受け取って欲しい。不特定多数に寄付する気はいまのところまったくない。なぜか? 自分が気持ちよくないからである。なんて悪徳だと正直失望する。

 ところで、死はその時まで体験できない。とても神秘的でわくわくする。絶対笑わせてやるからな。死は悲しいものである、というルールを違反するので、任せて欲しい。ひとことで言えば、死はとても楽しい瞬間であった! ということです。これについては確信している。ぜひ、私の死を楽しみにしていておいてほしい。楽しんでもらえると、私が嬉しい。私の死をどうか、心待ちにしておいてください(私のためにも!)

「私」のCROSS†CHANNEL 10

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 後のRewriteである。

 

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 個でなければならないとする倫理。まあ人の存在否定やね。つきまとうものとはいえ、憎しみを肯定するなんてできないだろうし。

 よく言う話だけど人の間で生きるのが人間の生である。個であれば、人間ではなくなる。それは別の何かだ。道理だと思う。余談だが、ここから離人症という病名の話をすると少しおもしろいかもしれない。人間から離れるということとは。人らしさの消失。

 

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 かわいい。。。

 

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 太一の倫理観は実際理想的なものを目指していて、その試行錯誤のループなんだけど、これがまた、しんどいんよねえ。。無理な要因いくつ上げればいいんだ? という。

 

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 たいっちゃんの本質は84%のこと。この辺難しいよなー。理想的ともいえる倫理観を持ちつつ、だから。

 

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 84%の自分を持ちながら、自身の好悪について些細なことに思える、というのはどうも離人の気質に聞こえる。自暴自棄ではないというのがポイントやね。そりゃ、切ないわ。

 

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 これめっちゃ良いこと言ってます。人を類型化してはならない。

 人というものは、個人として見てくれ。頼むから。

 

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 ちょいとふわふわして全体的に隙のあるたいっちゃん。レアやね。七香の前だっていうのはありそうだねえエモいねえ。

「私」のCROSS†CHANNEL 9

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 太一の絡みってまあセクハラだったんだけど、コミュニケーションの手段をあまり持たないので、そこに言外の意味が発生してるとは思うんね。いや、太一セクハラ好きではあるんだけど、あるニュアンスが含まれる。これを受け止められる人が太一と交流を持てる人で、美希なんかは代表的な人であった。

 普通じゃないコミュニケーションをしているという意識、それだけしか交流において持ち出せない個人というのは絶対存在している。まあこれは言外のニュアンスを汲み取れる――非言語的なコミュニケーションが可能であったり――その他、その人を類型化できる人なんかは少なくとも表層的なコミュニケーションが可能である、とは言える。

 「私」のCROSS†CHANNELなので、個人的事情に踏み込むと、私のコミュニケーションがなんともまあ自傷めいた、いわゆる躁の気質を使っているという意識は持っています。でも大体そうなるのは好きな人の前なので、なんかそんな感じになってる時は好意全開です。これが言外のニュアンスということになるのかな。

 これは類型化すればピエロタイプなんだけど、やっぱり類型化は取りこぼしがある、ね。型にはめるということだから。

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 他者がいる=価値観が発生する、というのは触れられていた。価値は相対的なものが多いもんで。

 ここはちゃんと考えてみてもいいかもしれない。我々、というより私にとって他者がいるとは? 

 他者の目というのは基準の一つだ。なぜ基準になるか?

 それは排斥が死につながるからだ。

 実際に他者がいるのだから、この他者の視線・価値観というのは無視することはできない。無視したければ山奥に引っ込んで霞を食べていればよろしい。だからといって、個人主義の否定、とまで行くと極端だ。

 ここで出てくるのが中庸という話で、アリストテレスは偉大だという気持ちになる。そう言われてしまうと、とりあえずの納得はできる。妥協とも言いかえるかもしれない。

 ここで起こる問題は、中庸で生きていけない個人の存在ということ。これは社会病理学の分野だな。アウトサイダーと呼ばれる人たち。そこでは一定数社会にそういう人があらわれてしまう病理的現象として扱われている(違ったらすまない)。それこそ群青の人たちだ。

 ちくしょう、難しくなってきた。要は(要せるか?)、アウトサイダーとして生まれたものの生き方ということになるだろう。だって、甘く見積もっても中庸、という生き方ができなくて、社会病理的に(確率的に!)アウトサイダーとして生まれてしまったものの生。

 みみみ先輩の「ままならねーです」の台詞を改めて噛みしめるところだと思う。

友達について

 サクラノ詩Ⅵ章でも触れられていたが、地元に残った顔見知りとたまに飲みにいく、というのは決して不幸ではないが、やはり幸福の後の話にはなるのだろう。同じ部活で心通わせた友人たちは地元を離れ、なんとなく連絡も取ることもない(凜なんかは特殊すぎるが)。あの美術部時代は間違いなく幸福の瞬間で、それを取りこぼしてしまうのが、どうも私には道理に思える。

 ところで、今私が生きている現実において、友達というのは、やはり毎日会ったりするものではどうにもないらしい。これを肯定するか、どうか、というのはかなり難しいものだ。私にとって友達とは、どこまで優先できるのだろう。正直な気持ちを話すと、今の生活を投げ出しても、友人のもとへ行きたいくらいなのだが、この葛藤どう処理すべきか、抱えたまま死ぬのか、本当の悩みではある。貯金が少しあるのは救いだ。友人たちが関東に集まるというなら、私もそこで働き口を探すのが、肯定的人生を得るために必要なことだと思える。幸福に生きるためには。なんと表現したらいいかわからないが、私はあなたを必要としているということだと思う。

 単にネットつながってなくてダウナーなだけかもしれないね(;´д`)

 

いやこれだめやろ

 ふざけんな論理学難しすぎる。テクニカルタームナチュラルに多用するな初学者向けじゃねえ。もっと優しく導入してくれませんか? 一旦投げることにする。あのテキストで論理学嫌いが一人増えたぞ! 残念だったな! 論理学はこれじゃあ流行られねーぞ! (少なくとも同大学内では) 

 私は楽しくて好きな勉強をする!