突然死について

 いつ頃か、持ち物を減らすようになった。グッズなんか昔いっぱい買ってたなあ。どうやら、これは死を意識するようになってからの傾向のようで要は身辺整理ですね。自身の痕跡は出来る限り消したいものです。

 最近、妙にくらくら(ふらふら?)する。意識が瞬間的に出入りするような感覚で、ふとした時に戻ってこなくてもおかしくないような感覚だ。どうもおかしい。

 よく頭によぎるのは自分の持っている貯蓄のことで、これはいつか誰か自身が価値あると思う人にすべて渡したいと考えていて、タイミングを測っている。近々死ぬなというような予期を覚えたら全て渡したいと思っている。私の生は、私が価値あると思う人に尽くす生だと思ったら、とても気分がよくなる。ここで明らかになるのは、価値ある人を自身のために利用するということです。ここを誤魔化す気は毛頭なく、ぜひ、私にとって価値ある人は、私のために、私の全財産をその時には受け取って欲しい。不特定多数に寄付する気はいまのところまったくない。なぜか? 自分が気持ちよくないからである。なんて悪徳だと正直失望する。

 ところで、死はその時まで体験できない。とても神秘的でわくわくする。絶対笑わせてやるからな。死は悲しいものである、というルールを違反するので、任せて欲しい。ひとことで言えば、死はとても楽しい瞬間であった! ということです。これについては確信している。ぜひ、私の死を楽しみにしていておいてほしい。楽しんでもらえると、私が嬉しい。私の死をどうか、心待ちにしておいてください(私のためにも!)

「私」のCROSS†CHANNEL 10

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 後のRewriteである。

 

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 個でなければならないとする倫理。まあ人の存在否定やね。つきまとうものとはいえ、憎しみを肯定するなんてできないだろうし。

 よく言う話だけど人の間で生きるのが人間の生である。個であれば、人間ではなくなる。それは別の何かだ。道理だと思う。余談だが、ここから離人症という病名の話をすると少しおもしろいかもしれない。人間から離れるということとは。人らしさの消失。

 

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 かわいい。。。

 

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 太一の倫理観は実際理想的なものを目指していて、その試行錯誤のループなんだけど、これがまた、しんどいんよねえ。。無理な要因いくつ上げればいいんだ? という。

 

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 たいっちゃんの本質は84%のこと。この辺難しいよなー。理想的ともいえる倫理観を持ちつつ、だから。

 

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 84%の自分を持ちながら、自身の好悪について些細なことに思える、というのはどうも離人の気質に聞こえる。自暴自棄ではないというのがポイントやね。そりゃ、切ないわ。

 

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 これめっちゃ良いこと言ってます。人を類型化してはならない。

 人というものは、個人として見てくれ。頼むから。

 

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 ちょいとふわふわして全体的に隙のあるたいっちゃん。レアやね。七香の前だっていうのはありそうだねえエモいねえ。

「私」のCROSS†CHANNEL 9

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 太一の絡みってまあセクハラだったんだけど、コミュニケーションの手段をあまり持たないので、そこに言外の意味が発生してるとは思うんね。いや、太一セクハラ好きではあるんだけど、あるニュアンスが含まれる。これを受け止められる人が太一と交流を持てる人で、美希なんかは代表的な人であった。

 普通じゃないコミュニケーションをしているという意識、それだけしか交流において持ち出せない個人というのは絶対存在している。まあこれは言外のニュアンスを汲み取れる――非言語的なコミュニケーションが可能であったり――その他、その人を類型化できる人なんかは少なくとも表層的なコミュニケーションが可能である、とは言える。

 「私」のCROSS†CHANNELなので、個人的事情に踏み込むと、私のコミュニケーションがなんともまあ自傷めいた、いわゆる躁の気質を使っているという意識は持っています。でも大体そうなるのは好きな人の前なので、なんかそんな感じになってる時は好意全開です。これが言外のニュアンスということになるのかな。

 これは類型化すればピエロタイプなんだけど、やっぱり類型化は取りこぼしがある、ね。型にはめるということだから。

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 他者がいる=価値観が発生する、というのは触れられていた。価値は相対的なものが多いもんで。

 ここはちゃんと考えてみてもいいかもしれない。我々、というより私にとって他者がいるとは? 

 他者の目というのは基準の一つだ。なぜ基準になるか?

 それは排斥が死につながるからだ。

 実際に他者がいるのだから、この他者の視線・価値観というのは無視することはできない。無視したければ山奥に引っ込んで霞を食べていればよろしい。だからといって、個人主義の否定、とまで行くと極端だ。

 ここで出てくるのが中庸という話で、アリストテレスは偉大だという気持ちになる。そう言われてしまうと、とりあえずの納得はできる。妥協とも言いかえるかもしれない。

 ここで起こる問題は、中庸で生きていけない個人の存在ということ。これは社会病理学の分野だな。アウトサイダーと呼ばれる人たち。そこでは一定数社会にそういう人があらわれてしまう病理的現象として扱われている(違ったらすまない)。それこそ群青の人たちだ。

 ちくしょう、難しくなってきた。要は(要せるか?)、アウトサイダーとして生まれたものの生き方ということになるだろう。だって、甘く見積もっても中庸、という生き方ができなくて、社会病理的に(確率的に!)アウトサイダーとして生まれてしまったものの生。

 みみみ先輩の「ままならねーです」の台詞を改めて噛みしめるところだと思う。

友達について

 サクラノ詩Ⅵ章でも触れられていたが、地元に残った顔見知りとたまに飲みにいく、というのは決して不幸ではないが、やはり幸福の後の話にはなるのだろう。同じ部活で心通わせた友人たちは地元を離れ、なんとなく連絡も取ることもない(凜なんかは特殊すぎるが)。あの美術部時代は間違いなく幸福の瞬間で、それを取りこぼしてしまうのが、どうも私には道理に思える。

 ところで、今私が生きている現実において、友達というのは、やはり毎日会ったりするものではどうにもないらしい。これを肯定するか、どうか、というのはかなり難しいものだ。私にとって友達とは、どこまで優先できるのだろう。正直な気持ちを話すと、今の生活を投げ出しても、友人のもとへ行きたいくらいなのだが、この葛藤どう処理すべきか、抱えたまま死ぬのか、本当の悩みではある。貯金が少しあるのは救いだ。友人たちが関東に集まるというなら、私もそこで働き口を探すのが、肯定的人生を得るために必要なことだと思える。幸福に生きるためには。なんと表現したらいいかわからないが、私はあなたを必要としているということだと思う。

 単にネットつながってなくてダウナーなだけかもしれないね(;´д`)

 

いやこれだめやろ

 ふざけんな論理学難しすぎる。テクニカルタームナチュラルに多用するな初学者向けじゃねえ。もっと優しく導入してくれませんか? 一旦投げることにする。あのテキストで論理学嫌いが一人増えたぞ! 残念だったな! 論理学はこれじゃあ流行られねーぞ! (少なくとも同大学内では) 

 私は楽しくて好きな勉強をする!

「私」のCROSS†CHANNEL 8

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 幸福の瞬間を捕まえるのは難しい。とはサクラノ詩より。

 そういった楽しい思い出、瞬間的な幸福に意識的な太一。

 その瞬間の感慨を、ありがとう、と誰ともなく。

 少し難しいが、幸福な過去への感謝は内的なもので、発したところでどこか空虚さがつきまとう。過ぎ去ったものをつかむのは、とてもとても難しいことで、だからこそ内的な感謝が生まれる。なぜか? もう、そこには幸せはありませんから。ないのですから。

 過去というのはその絶対性によりプロテクトされたもの、というのはあまり言及したくないけどロミオのよく使うモチーフではありますヘ( ´Д`)ノ

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 七香は完璧すぎる!‹‹\(´ω` )/››

 

 

「私」のCROSS†CHANNEL 7

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 例えば放送部の面々は有識な人が多い。ある一面での太一理解を持っている人。霧ちん筆頭に部長とか。ならば、太一に対して自衛もできる。受け入れることもできる。

 

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 それにしても太一を霧ちんは刺激しすぎよなーというのはあって。もちろん豊関連の話が前提にはあるわけだけど、それは度を超えていて。太一の自制を持ってしても加虐の嗜好が出てしまうほどに。色々推し量るのが霧ちん下手だよなー。無謀ともいえる。

 

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 存在の全肯定。私が求めているもの。実際、ここでひとつのEDを迎えたとしてもおかしくない構図ではある。とても感動的だ。

 七香は生まれの不幸とかそういった矮小な考えは持たないだろうな。太一の境遇への申し訳なさはあっても、太一の生についてはどんなものであっても全肯定するだろう。正しい。好ましい。羨ましい。

 生まれ落ちたからには、どんな生だって、肯定されるべきである。