過去の感慨の絶対性

 自分が好意を持った人の特徴は、自ずと好意的に見がちになるというのがあって。僕はそうなんですが。いやほんと人間というか僕そんなちょろいのか……って少し呆然としたりします。ちょいちょい思っていたことではあったんですが、それもこれも、好きだった人が、そうでもなくなるなんてことが最近リアルで起きて再確認しました。好きではなくなると、好きだった一面が欠点に見えてくるんですよね。例をあげると、思慮深いのか、それは癪に障るニヒリズムなのか。

 ただそういった状態に陥った時思うこととして、たとえ意識や記憶に連続性があろうと、移り変わっているものであるから、その時の感覚はその時だけのものということで。今嫌いだからといって、好きだったその時が消えるわけではない。

 例えば、好きだった人(物)がいるとして、その人(物)が、自分がかつて好きだったその傾向がなくなり、むしろ苦手な方に行っていってしまった、なんてことはよくありそうに見えます。ここで、この人(物)苦手だ、となって全否定したくないんですよね。好きだった過去は消えない。その価値はずっと不変で、残り続ける。逆もそうで、嫌いだったのが好きになっても、嫌いだった過去は残る。面と向かって「あのころ嫌いだった」とは中々言えませんが、嫌いだった過去は消えない。その時の感情を大切にしたい。

 これって某田中口ミオ先生の作品でよく言ってる「罪は決して消えない」云々もまさにそうで。現在で過去の行為は上書きできない。ただ受け入れる。

 そういうふうに、過去思ったこと、やったことを聖域化でもして保護しておかないと人間の頭は色々都合がよくできているので、人(物)の特徴の意味付けに錯誤が生じ、立ち行かなくなりそう。

 その時々の感慨しか信用できない、ということになるやも? 飛躍を感じるが、正しい気もする。

 まとまりのない話になってしまった。