『ぼくの一人戦争』 感想

 昨晩クリアしたので雑感をメモ的に。

『ぼくの一人戦争』は他者と私(人と人)の関係性をひとつテーマに、示唆的に、あるいは直接的に訴えてくる。他者によって自分は生かされている、他者に認識されることによって私は成り立っている、他者の中の私のおかげで私がある。

 主人公である蓮司は、人間関係に見切りをつけるのが早いと指摘される。ウェットな人間関係を嫌うわけではないが、自分と他者、他者と他者の関係を考えた上で、この関係は無理だと見切りをつける。これはドライな感性をもっているというふうに誤解されがちで、軋轢の元となる。実際のところは、そういった一見「醜い」関係性を許容することも人間は選択することができる。物語終盤になると、蓮司は醜い関係性を許容する人間(るみとその家族)を不思議に思う。しかし、醜いからといって切ってしまうというのは、正しい理性での選択ではあるが……あえて(自然に)受け入れるという感性もあることに気づく。

 家族を受け入れるるみと、永治を受け入れがたく感じる蓮司、人の役に立ちたいと言う結花、人間関係をノートに記すしのぶ、上手くいかなかったけど共同体を居心地の良いものにしたいと考えた沙代、安易に人間関係を切ることをよしとしない徹。

 思うに、人と人の関係性に嫌悪感はつきまとうものである。が、しかし、共同体(人間)である以上離れられないし、安易にそれを拒否するような選択は好ましいことではない。

 ”会”で負けた王は利己的になる。

 利己的になった蓮司は、友人たちとの関係が壊れ、るみをぞんざいに扱う。

 自己の成功だけに執着する。

 蓮司が本来よしとしたものではない。

 永治を切ったことと、るみの家族を醜悪だと思うことは蓮司と周囲の関係を思うと当然のことだと思える。ただ、程度の問題であって、突き詰めるとそれは利己的なものである。徹が「決断が早過ぎる」というのは、程度の見極めを十分にしていないように見える、ということだろう。

 本来、極端に利己的なのは好ましくない。ただ人間である以上、その見極めは慎重にしなければならない。醜悪であると感じる関係や人間は、人間であろうとするならば避けられないものだ。『ぼくの一人戦争』で登場する人間関係は気持ちの悪いものが多いが、人間であろうとする以上、関係性というものは真摯に受け止めなければならない。醜悪さ、嫌悪感、雑さ、理不尽さのつきまとう人間と人間の交差を、大切に扱わなければならない。肝なのは、嫌だけども、だとか、しょうがないから、ということではない。それが前提の存在であるということだと思う。直接的に言ってしまうと、そういう作品だったと思う。