優越-劣等の構造

 非常に狭い世界の話なので、わかりにくいところもあると思いますが、どうにか話したいことを掴んでもらいたい(自明のことではあるが)。内省的なものなので、ぼくのコンプレックスに非常に根付いた考えです。気持ちのよくないものですが、何か新しい観点などがあれば、教えてほしいと思います。

 僕は、物語が好きです。物語に寄り添ってもらって生きているところはあると思います。ただ、物語を消費する他者の態度が苦手でした。少し考えてみると、それはどうもよくあるとされる人間(社会)の在りようを表現したものだったように思います。他者の、物語を触る手つきがどうも気持ち悪いと感じることが多かったのです(当然、信頼する人の純粋におもしろいなあと思う感想も多いですが)。それは欺瞞であり、欲望の象徴、もっと言えば、優越の獲得を目指したものに他ならない。その欲求自体は問題にならないかもしれない。ただそれは構造上、気持ち悪くならざるを得ない。

 優越という価値は、劣等に結びつかずにはいられない。優越は、劣等に対して優越しようとします。従って、優越を目指す者は、劣等を嫌い、蔑視する。自身が劣等でありたくないという思いは、他者を蔑む(なぜなら、劣等を持つ他者は、悪を持った他者となるから)。劣等を悪と考えることを前提にした者は、自身が優越者を目指す時、優越者となった時、劣等者を見下さずにはいられない。なぜ、優越したいか? と言えば、より良くなりたいからである。より良くなりたいとはどういうことか? 劣等が悪だということである。

 優越-劣等の価値軸でのこうした動きは、己が見下されることを嫌ったが故に、劣等を乗り越える。*1しかし乗り越えた時(自身が優越者となった時)、己は、劣等者を見下しているのだ。劣等者が存在しないと、自身は優越者とはならない。欺瞞ではないか? 優越者の視線は、劣等者には耐え難かった。しかし今や、己が、自身が嫌ったものを発している!

 こうした構図は、どうしたら良いんだろうか?

 

*1:優越は良いことであって、悪である劣等を他者から認められるのは耐え難いことである。故に、優越者を嫌う