優越-劣等の構造②

 少し本来の要旨とずれてしまうけども。結局一日考えた |▽`)ノ

「自身が嫌った存在になってしまう」という構造はいかんともしがたく、「優越」の価値があるから、「劣等」というものが生まれるのは必然的です。言い換えると、「美」があるから、「醜」という価値が生まれます。つまり「善」があるから「悪」がある、という話に帰結してしまうのです。

 この連関から抜け出すのは、本当に難しいと思われます。劣等を嫌い、優越になった時、自身は劣等を生み出すものとなっています。僕は劣等が嫌いだったのに、劣等を生んでいる。少なくとも、この自覚は重要なことのように見えます。悪を再生産してしまっている。多くは、無自覚的に。僕が嫌悪感を抱いていたのはその無自覚性だったのだと思う。この、構造上・空間上仕方のないことであるのなら、せめて自覚的であるべきだ、と思うのはどういうことなんだろうか。謙譲的であるべきとか、そういった美徳や道徳の話をしているのかというと、そういうわけでもない。

 これは、残念ながら、ただの自明のことであって本当のことを再確認しているだけのようです。

  完成してしまっているmoral(善的価値)-immoral(悪的価値)の構造から抜け出して、nonmoral(無価値)なところへ行くことはできない。