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『最果てのイマ』セレクション 1

 エピローグより

 世界は滅びた。
 人類は衰退した。
 全て、予想通りになった。

 生存したのはわずかな数。
 再び元の文明分化に至ることは絶望的だろう。

 過去の歴史か得た叡智で、最短の手順で、細々と
食料を得ている今の人類だ。

 しかし流動する活力を束ねることはもうない。
 個人の間の距離は引き伸ばされ、皮肉なことに野
生種として適切な距離に戻された。

 人は群れることで深化した。
 我々は人の気持ちを推し量る。

 読心することで、人と人の距離を維持しようとす
る機能がある。

 これは社会的複雑性の読解力と言われる。
 相手を理解することで、共存が成立するのである。

 その中からルールが生まれ、倫理が育った。
 単純には、隣人を憶測する能力のことだ。

 何をすると怒るか。
 どうすれば喜ばれるか。
 いかにしてうまくやっていくか。

 そういう力だ。
 殴られれば痛む。
 贈れば喜ぶ。

 だが人のそれは、他の社会的側面を持つ動物のそ
れを、遙かに上回る。

 その強力さは、ほどんどテレパシーと言って良い
ほどだろう。

 人は人の心を解するのだ。
 感情移入できるのだった。

 

  冷静に考えて、空気を読むという倫理的な行いはテレパシーじみているというか、そのものである。このことには純粋な驚きをもっと覚えてもいい。昨今の大人の発達障害というある種の流行りにおいて、やはり、人間の倫理は、前提がテレパシーなので問題になる時が自然と訪れたということなのだろう。しかも、その倫理は普遍性と個別性が複雑に入り混じり、絶対性が担保されない。語りえない。

 私が取る戦略としては、あえてそのテレパシー使わない論理コミュニケーションは使っているフシがある。つまり、お互いが、語ったことにしか信用を置かない、読心をしないという態度。個人的には、限定的には有効だと思っている。

 しかし、どうなんだろね(‘、3_ヽ)_